占星学

戦場のピアニストに思うこと

こんにちは!
皆さんは戦場のピアニストという映画をご覧になったことがあるでしょうか?
アカデミー賞ノミネートもされ、いくつか賞も受賞しているこの作品。
わたしの好きな映画のひとつです。

最終的には一応ハッピーエンドではありますが、
作品の背景として「第二次世界大戦、ナチス支配下のポーランドにおけるユダヤ人」のストーリーであるため、
明るい作品とは言えません。

この映画を見ているといくつか占星学的に思わされることがあります。
そのうちのひとつが、太陽と冥王星の「生きる」というパワーについてです。

太陽はご存知、わたしたちの中のコア(核)であり、太陽源。
太陽は生物にとって不可欠な存在であり、その力はわたしたちに「人生の道を歩く」パワーを授けます。
「ああ、自分の内に秘めるパワーが止まらない!」と作品を作ったりすることに打ち込むことも太陽の賜物です。
いわば「生きている証」として、自分のパワーを外に出す力があります。

冥王星はあの世とつながりを持つ惑星ですが、
死の先にある生へとつながる惑星でもあります。
原始の力とリンクする惑星なので、サバイバルパワーを象徴します。
死も生あってのもの。「生」に固執する惑星なのです。

ユキコ・ハーウッドさんのセミナーを受講していたとき
戦場のピアニストを冥王星的な作品だと紹介してくれたことがありました。
世界がめちゃくちゃでバラバラになって、もう元には戻れない。(=世界の死)
これって、本当に冥王星の世界ですね。

戦場のピアニストは、多分、一般的というか、大部分のひとは「冥王星的な映画」という作品だと思います。
でもわたしには「生きる」根源とも言える欲を決して捨てない、泥水をすすってでも生きるんだ、という強い力を放つ太陽的な作品としか思えなかったのです。
そこからわたしは、この違いについて考えるようになりました。

作品の途中、ナチスの将校に「ピアニストならピアノを弾いてみろ」と言われるシーンがあります。
当時の状況なら、いつ撃ち殺されるかという状況。
それでも全霊をかけてピアノを弾くシーン。
これは金星とか海王星の言うアートなんかではなく、
太陽のクリエイティビティであり、魂の音。
綺麗とか美しい音色とかではなく、生きる!という熱い音です。
(I want to liveじゃなくて、I will liveなんですね)

ピアノの演奏に心打たれた将校は、エイドリアン・ブロディ演じるシュピルマンを殺しませんでした。
命が助かったと確信したシュピルマンは、直前に見つけた「かぼちゃの缶詰」をフォークで必死にこじ開けて貪り食いますが
これは月の「生きるために食べる」の象徴ですよね。
金星とかの「美しいテーブルセッティングをして、いい食器を揃えて、今日はフレンチのメニューに挑戦したよ!」なんて余裕は一切ないのです。

多分、冥王星と思うか、太陽と思うかは
フォーカスする部分の差なのかな、なんて思います。
作品全体を見ると、とっても冥王星的。
世界が崩壊し、同じ日は2度と戻らない。
意味もなく殺されるひと、命を落とすひとがいても
「大いなる何か」によってわたしたちは無力さを感じる世界。

シュピルマンにフォーカスすると、太陽の映画のように思う。
冥王星的な世界を経験しても、「それでも生きるんだ」という意志を決して放棄しない。
極端に言えば、「冥王星的な世界」を経験したからこそ生まれ出る「生」の気持ちなんだと思います。
毎日のほほんと「楽しい」「ラク」ばかり選択していたら、
多分燃えるような「命」の光を感じることはできにくいかと思います。
まぁ、もしかしたらこれも「冥王星」的なパワーだというひともいるでしょうが。
(でも「楽しい」「ラク」をすることも大切なこと!息抜きも必要ですよね)

今日、ふとエフェメリス(天文暦)を見ると、
太陽と冥王星がオポジションになっていました。
今の山羊座の冥王星群は土星・木星も巻き込んでいて強烈な「戦場のピアニスト」状態。
それを蟹座にいる太陽アポロンはどう感じるのでしょう。

太陽のいう生って、ちょっとした希望でもあると思うのです。
一瞬でもいいからの光が差し込む瞬間のような。
その光は、生きることにつながります。
ちょっとガクッとしたときに、太陽を見るとちょっと元気が出るみたいなこと、それって太陽の力ですよね。

でも冥王星的なものを感じていると、
太陽の光すら届かないときもあります。
冥王星の世界は地中の世界だから、光は届くことがない。

直視できない光(太陽)と、何も見えなくしてしまう闇(冥王星)。
結局生きることの意味って、一生かかってもわかることなんてないのかもしれません。
でも、それなら、時と場合に応じて「自分の生きる意味」を好きなように設定するのも選択。
そして「うおー生きてるー!」という瞬間も大切にしたいところ。

戦場のピアニストは、第二次世界大戦の結末と同じように進みます。
時代や社会の流れのせいで、どうにもならないこともあるのが人生ではあるけれど。。。
それでも、伝わるものがあり、わたしたちは相互に作用しているのです。

追記
これを書いてから戦場のピアニストを見なおしてみましたが、かぼちゃの缶を貪り食うシーンはなかった!という事実(アマゾンプライムカット?!わたしの記憶違い?!)を知りました。
なんと、まぁ。。。勝手に想像して申し訳ない!
そして最後の方の将校とのやりとりが切ない!ここが一番辛い!と改めて見直して感じました。

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